母子分離不安の原因は何?息子が小学1年生で不登校になったとき私が対応したこと。

母子分離不安とは母親と子どもが離れたときに不安になり、なんらかの精神的・身体的問題を引き起こす状態のことです。

幼稚園までは普通に通っていた息子が、小学1年生になったとたん一人で学校に行けなくなりました。

目次

母子分離不安とその原因

白いベビー服の赤ちゃん

赤ちゃんにとってママは絶対的な存在ですよね。ママがそばから離れると不安を感じて泣いたり、後を追いかけたりします。これを母子分離不安といいます。

2歳くらいの子どもくらいまでに見られ、母子分離不安があることは親子の愛着関係が結ばれている証拠です。母子分離不安を抱くこの小さい時期に母親から充分な愛情を受けておくことが大切です。

個人差はありますが、3歳を過ぎる頃には「ママはここにいなくても、いつも自分に愛情を持ってくれている」という自信を持つようになり安心してママから離れて行けるようになります。

しかし逆に「甘えないの!」「自分でできるでしょ!」と突き放してばかりいると、ママの愛情がいつも自分にあるという自信をもてず不安な気持ちで育ちます。3歳を過ぎてもママから離れられず、小学生で不登校になってしまうケースが多くなるといわれているのです。

この「母子分離不安」という聞きなれない言葉を知ったのは、息子が小学生で不登校になったときでした。

私の育て方が悪かったの?息子にイラつく毎日

ぶたの公園

26歳で結婚。30歳で長男を出産し専業主婦となった私は、すべての愛情と時間を息子に注いできました。

実家が遠く、子育て関係の本が頼りのマニュアルどおりの育児の日々。

息子を大事に大切に育てたいという強い思いはいつのまにか、息子を思いどおりに動かすことにすり替わっていきました。私の思ったように動かなければ、なじる、罵る、泣かせるは日常です。

思い通りにしない息子にイラつく毎日、でも私は公園や習い事では外面のいい母親。これが私の本性。

泣いて私の足から離れずお友達と遊べない。習い事でみんなと同じように参加できない。帰宅してからそのことを責める母親の私を、息子はどんな気持ちで見ていたのでしょうか。

息子は常に私の顔色をうかがい、自分の意見やわがままを言えないまま育っていったのです。

次男の出産とお兄ちゃんのがまん

長男が幼稚園年長に上がるときに次男を出産しました。

出産後の病室に夫と一緒に来てくれた長男の大きな目に、涙があふれそうになっていたのを見ていたくせに、私は無意識に見ないことにしていたのかもしれません。

僕だけのお母さんじゃなくなる!というとんでもなく大きい不安を抱えたまま、長男はよいお兄ちゃんを演じたまま幼稚園を卒業しました。

私はこの次男出産から卒園までの一年間をとても後悔しています。

長男がお兄ちゃんだからと我慢していたことにもっと早く気づいてあげればよかった!もっとたくさん抱きしめてあげればよかったなぁと。

小学校に入学した翌日から学校へ行けなくなりました

小学校の登校初日。午前中に帰宅し安心していたところへ「じつは今日、泣き続け嘔吐した」と担任の先生から連絡がありました。

緊張しているのかな程度に軽く考えていたら、次の日の朝からどんどん事態は悪い方向へ向かっていきます。

毎朝が戦いです。

「嫌だ〜!!ぎゃ〜!!やだ〜!!行きたくない!!」そう泣き叫ぶ長男の腕を、引きちぎれそうなくらいひっぱり学校まで連れて行きます。

すれ違う人が、憐れむような目で、怪訝そうな顔で私たち親子をみている。息子が泣き叫んでいるというのに、まだ世間体を気にする最低な母親の私。

罵りと不安の続く悪夢の日々

むらさきいろの夕景

小学校の担任の先生は、「お母さん、これからは一緒に学校にいてあげてください」と言いました。

次男は1歳になったばかりです。「何言ってんの冗談じゃない、次男に手がかかるのに・・・先生がなんとかしてよ。」これがそのときの私の本音でした。

そして私の長男への罵りは一層ひどくなりました。

みんな一人で行けるのに、どうしてお前だけ行けないの!

お母さんを困らせて何がしたいの!

一体何が不満なの、言ってごらん!

毎朝泣き叫んでいて近所の人に見られてかっこ悪いじゃない!

鬼のような顔で怒りを息子にぶつけたかと思えば

なんでお母さんだけこんな目にあうの・・・

お母さん、もうおばあちゃんのところに帰りたい・・・

お母さんなんて、やめたい・・・

ごはんも作らず泣いてばかり。息子も一緒に泣いてばかり。

この頃タイミング悪く夫は転職したばかりで、 話を聞いてくれても「俺はどうしたらいいの?」とイラつき、オロオロするだけでした。

母子分離不安の親子に学校が対応してくれたこと

毎朝、1歳の次男を抱っこし長男と一緒に学校に行き、教室の一番後ろで5時間目まで一緒に授業を受けていました。給食の時間は、私だけ廊下で持参したおにぎりを食べる。そんな毎日をしばらく過ごしていました。

同じマンションの人が噂ばなしをしているようで怖かったし、近所で同級生のママに会わないように気をつかう日々。

自分でもよくわからないまま、こんなことになって。怒鳴っても泣いても、息子は学校に行けなくて。

閉塞感でいっぱいだったときに、小学校の学校カウンセラーの先生が親子で通える区の相談室に行くことを勧めてくれます。

私はこんな状況でも子どものためにというより、自分が楽になりたいためにその相談室を最後のよりどころとして通うことにしました。

親子のカウンセリングを受けて気がついたこと

仮面の子ども

担任の先生と、毎週決まった曜日の午後に早退するという形をつくり親子で相談室へ通う生活が始まりました。

長男がカウンセリングを受けている間、私は別室で世間話をして待っているという感覚です。

私たち親子の状態が「母子分離不安」というものだと知ったのはこのカウンセリングがきっかけです。

実際、カウンセリングを受けなければいけなかったのは母親の私だったのではないか・・・と今は冷静に考えられます。母子分離不安は親の私が子どもに癒着しすぎているという視点があったはずです。

お母さんが弟と一緒に遊んでいるのに、自分だけ学校に行くという不安。

すべてが新しい小学校生活への不安。

お母さんの指示を受けてきたのに、それがなくなるという不安。

息子はたくさんの不安を、学校に行かないという手段で私に伝えようとしていたんですね。それは自分の気持ちを伝えられなかった長男が初めてみせた自己主張でもありました。

相談室でカウンセラーの先生からもらったアドバイス

相談室からは長男が昨日よりどんなことができたのか,日記に書いて報告するように言われました。

長男のできていることは、どんな小さなことでもいいから認めてあげる。

例えば、今日も朝起きられたね。嫌がらずに靴が履けたね。

えらいね!と褒めるんじゃないんです。認めてあげること。私、できてなかったんです。子どもの存在の「承認」を私はしてこなかったと反省しました。

相談室のカウンセラーの先生に教えられた言葉

同じ状況でも日によって反応が違って当たり前。
無理強いしない。一喜一憂しない。

大人だって毎日同じ心理状況で暮らすことが無理なように、子どもも毎日反応が違って当たり前。そんなふうに私自身が息子の今の状況を受け入れられるようになっていました。

子どもに共感の言葉をかけてあげること。

今日は行きたくないのかな?不安になっちゃったのかな?

お母さんは自分の気持ちに気づいてくれたんだと、自分を認めてくれたんだと思うことが大事。相談室のカウンセラーの先生が何度も何度も教えてくれました。

一緒に通い始めた頃は、教室の一番後ろに立っていた私を何度も振り返っていた長男も少しずつ私の顔が見えなくても過ごせるようになっていき、私が途中で自宅に帰ってもわからないくらいになっていました。

結局、長男が一人で登下校できるようになったのは入学から約2年後のことでした。

他人と過去は変えられない 自分と未来は変えられる

私が悩んでいたとき出会った言葉で、私の座右の銘は「他人と過去は変えられない 自分と未来は変えられる」です。

息子たちも夫も、他人です。他人を自分の思うように動かすことはできないし起きてしまった過去はどうにもならない。

息子を親だからという理由で自分の思いどおりにしようとしていた私にとって、この言葉はとても重いものです。自分の考え方・感情を変えていくことで、未来は変えられるんです!

今の私の価値観は、この出来事なしには語れません。お母さんは、こんな経験をさせてくれた君に感謝しています。どうもありがとう。

現在長男は、ドラムと宇宙と乃木坂46が好きな15歳になりました。

息子後ろ姿

親の私たちは子どもが変わってくれないのは子どもが原因だと考えてしまいがちですが、意外とその根本となっているのは親であるあなた自身かもしれない。

順風満帆な人生なんて、人間なんてつまらない。人は何歳からだってやり直せます。

人間は経験したことが多ければ多いほど、豊かな感情と相手を思う優しさが生まれます。

もしも今、私たち親子と同じような状況で出口の見えない暗く重たい日々を過ごしているなら、涙を拭いて希望を持ってくださいね。

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