娘は母親にライバル心があり、父親をとりあうと聞いたことがありますが本当でしょうか?
少なくとも私は父親が大好き!という娘ではありませんでした。かといって大嫌いでもなかった。
私は父に甘えたかったのか、今でもよくわかりません。
父親が42歳のときに産まれた娘
私は北海道で産まれました。
最近は高齢出産もめずらしくないけれど、父親が42歳・母親が37歳という年齢で産まれたから、両親は世間的に恥ずかしかったらしいです。
ひと回り以上歳の離れた姉と兄がいたのに、歳の近い遊び相手が必要と思ったのか、年子の妹まで産んだ慌てっぷりは、本当に想定外の妊娠だったのだと思う。
幼稚園くらいまでの記憶は鮮明ではなく、ただひどく泣き虫だった私は、泣くといつも父に怒鳴られていたような気がする。
ピアノで遊べばうるさい!と怒られ、怒られて泣くとまたさらに怒鳴られる。
小さいときに父の膝に抱かれて座るなんてことが、あっただろうか。。私はいつも一緒に住んでいた母方の祖母に甘えていたおばあちゃん子でした。
樺太(サハリン)生まれの父
父は樺太(サハリン)で生まれ育ち、父の母親が再婚するときに北海道へきたと聞きました。
父は毎晩必ず飲んでいて酔うと楽しそうに大声で笑いよく喋るけれど、普段は寡黙な人。ようするにお酒がないと喋らないような人だったんです。
私が静かで落ち着いた男性が好きなのは、たぶんお酒をのまないときの父が好きだったから。
姉によると私が生まれる前に父は、兄弟の間をたらい回しにされていた自分の母親をひきとり一緒に住んでいました。なぜ兄弟が自分の母親をやっかいもの扱いにしていたのか・・・いまになっても知らないことばかり。
しかしその母親が自宅の車庫で首をつって自殺。想像するだけで胸が苦しく張り裂けそうなこの事実を、父はお酒を飲むことで紛らわしていたのかもしれません。
父の笑顔と遊んだ記憶
父は一緒に公園で遊んだり出かけたりしない人でした。行きたい!と訴えてもいつも笑ってごまかされ、私は子ども心にあきらめていました。
唯一父の趣味である山や海へでかけるときだけ、車の助手席に乗せてくれたことがうれしかった。
ハスカップを採ったり、クレソンを採ったり。羊蹄山のほうまで行って、たけのこも採った。海で素潜りしウニをとる父の横で遊ぶ。北の国からの父親のような私の父(笑)
「モノより思い出」って本当ですね。こういう記憶は残ってます。
父が毛ガニを食べやすいようにむいてくれて、つぎつぎと食べる私を愛しそうに笑って見つめてる。どういうわけかその笑顔だけが、焼きついています。
東京に行きたいという強情な娘
思春期は父親を避けるものなのか・・・私は、ああ言えばこう言うの生意気な娘でした。そして絶対こうする!という強情な娘でした。
高校卒業後の進学をめぐって父親と話すのが苦痛。短大や大学に行きたい私に「女に学力は必要ない!」と聞く耳を持たない昭和の父。
結局、お金を出さない!という父に、私は新聞奨学生をしながら下宿してまでも東京に進学するという道を選び抵抗しました。
父と娘の間に入った母親には迷惑をかけたと思います。いやですね〜こんな娘。
娘の結婚、そして別れ
私は26歳で10歳年上の夫と結婚しました。
東京で結婚式をするため、北海道から上京した父はものすごく緊張していて小さく見えました。なんでしょうね、自分が大人になると両親がふと小さく見えるときがありますよね。
ねぇ、父さん。お酒が大好きなのに披露宴が終わるまで飲んでいなかったでしょ?
招待したお客さんや夫の両親に失礼のないようにとの気遣いだって知っていたよ。
ねぇ、父さん。学校ではみんなお父さんて呼ぶから、父さんて呼ぶの恥ずかしかったんだよ。
ねぇ、何か欲しいものある? 「なんもないから、いらねーわ」
こんな会話が最後だったと思う。
結婚から3年後の12月、くも膜下出血で父は他界しました。
私が親になって思うこと
父が亡くなった12月末に妊娠がわかり、結局孫の顔を見せることはできませんでした。
私は親になって思う。一生懸命生きる姿を見せられたら子どもはそれを感じてくれる。親だからとやりたいことをがまんしなくていいということ。
きちんと育てなきゃって不安が膨らむと、なぜかその不安どおりになっちゃうもの。
明日雨降ったら嫌だなぁ、明日熱出したら嫌だなぁ。そう思ったらそうなるからね(笑)私はおきていないことまで不安になって考えるのを一切止めました。
子どもってかわいいなぁと感じる瞬間もあれば、邪魔だなと思うときもある。
親は自己満足に愛情を注ぐけど、子どもだって成長すれば自然に自立して好き勝手に生きるのだからほどほどに。
私はこれからものびのびと明るく、おっちょこちょいで自分勝手な母親でいたい。
今年の年末も北海道に帰省します。
私はスキーができません!・・・でも子どもたちは滑れるので今年もスキーに行きます・・・。寒いの嫌い。
どうせなら「お母さん、止まれなくて雪だるまみたいに転がった〜」なんていう強烈な思い出を残してやろうと計画する私です。